僕はこれまで、理学療法士としてたくさんの人の身体に触れてきました。

身体中に痛みがある人。
半身がマヒで動かない人。
内臓の働きが弱っている人。
呼吸ができずに苦しむ人。
病院でも、整形外科のクリニックでも、訪問でも、
いろんな人と関わってきました。
その中で、ずっと感じていた違和感があります。
治しても、治しても、
また戻ってくる人がいる。
治しても、また戻ってくる。
病院で働いていた頃、
「先生、肩がこってつらいねん」
「膝が痛いから、ここだけなんとかして」
なんて頼まれることが、よくありました。
痛いんやから、その痛みが取れたら楽になる。
辛いんやから、その辛さから早く解放されたい。
当然ですよね。
僕も、その時にできることを精一杯していました。
身体に触れて。
動きを観察して。
筋肉の緊張を確かめて。
楽になるための施術をする。
実際に、
「楽になった」
「軽くなった」
と喜んでもらえていました。
僕もそれで嬉しかったんです。
でも。
またしばらくすると、
同じ人が同じ悩みをもって帰ってくる。
また肩がこる。
また腰が痛くなる。
また膝がつらくなる。
そのたびに、僕の中に、
「なんで、ぶり返すんやろ?」
っていう疑問と違和感が残ってました。
その場では、
痛みやつらさをやわらげられることもある。
でも、そもそも、
この痛みってなんで起こったんやろう。
気になって仕方がなかった。
なんで身体がこるの?
なんで腰が痛くなるの?
なんで生理痛って毎月くるの?
そもそも、この人は
普段からどんな暮らしをしていたの?
そこを知らないまま、
身体だけ触っていても、
また同じことを繰り返すんじゃないか。
”病気になる前” を知りたかった
ある患者さんは、毎日夜遅くまで仕事をしていました。
家に帰るのは、23時半とか0時。
そこから家のことをして、寝るのは1時とか2時。
疲れて帰ってきて、すごく眠たいはず。
それなのに、明日が来るのが怖くて、
なかなか寝つけない。
そんな生活を、20年ほど続けていました。
身体はつねに緊張していて、ガチガチ。
リラックスできない。
関節も筋肉もあちこちが痛い。
脈は速いし。食欲なんて湧かない。
朝ごはんはもう何年も食べてない。
その状態のまま、仕事に行く毎日。
この方が僕のところに相談に来た時、
本当にボロボロのヘトヘトな状態でした。
こんな状態の人に、
「もっと早く寝ましょう」
「仕事は減らした方がいいですよ」
って言えば解決するのか?
そんな簡単な話じゃないって思っていました。
本人だって、
今の生活が身体に悪いことくらい、
わかっているわけやし。
そんな人に、正論を言ったところで、
なんの解決にもならない。
つらいことは分かっている。
それでも、その生活を続ける理由がある。
辞められないワケがある。
そう氣づいたから、
僕はだんだん、
病気になった身体を治す
だけじゃなくて、
病気になるまで、どんな暮らしをしてきたのか知りたい。
と感じるようになっていきました。
食べるもの。
眠る時間。
働き方。
身体の使い方。
人間関係。

家でどう過ごしているのか。
毎日、何をガマンしているのか。
どんなふうに自分を扱っているのか。
氣になるところをぜんぶ含めて見ないと、
身体だけに触れていても、また同じ悩みで戻ってくる。
そう感じるようになっていたんです。
この頃から僕は、身体だけではなく、
その人の暮らしそのものを見るようになっていきました。
今はこの考え方を、Life Physical Therapistとして大切にしています。
病気になる前を知りたい。
この感覚って「予防」とも違うんですよ。
病気にならないように氣をつける。
太らないように食事を管理する。
もちろん、それも大切です。
僕自身、ずっと健康に氣を使って生きてきました。
でも今の僕としては、
永遠に健康を気にして、
生きていくのはしんどい。
って感じるようになっています。
むしろ、
健康かどうかとか、
いちいち気にしない。
気にしなくても、
身体や暮らしが自然に整っている。
って状態になってほしい。
「病気にならないように」じゃなくて、
そんな暮らしを続けていたら、
氣づけば健康だった。
健康のことなんて、
いちいち氣にしてなかった。
なんて生活を送ってほしいと思っています。
正しいことを伝えても、人は変わらない。
でも、またそこで違和感が出てきました。
暮らしを見ることが大事。
生活習慣を変えることが大事。
自分の経験から、わかるようになってきた。
でも、
正しいことを伝えても、人は変わらない。
当時は、失敗ばかりでした。
これは食べてはいけない。
もっと早く寝なきゃいけない。
運動を続けなきゃいけない。
不摂生な生活は辞めるべき。
正しいことを言い続けてきたんですよね。
でも、
そんな正論、わかってる。
それでもできないから、
今も苦しんでいる。
僕の母も、そうでした。
がんになって。
目が見えなくなって。
足が壊死して歩けなくなった。
それでも、
自分の身体を見つめ直そうとできなかった。
改めて自分を大切にしようとできなかった。
暮らしをイチから見直すようなこともなかった。
ある意味で、自暴自棄になっていたんです。
「なんで私ばかりがこんなつらい目にあうの…」って。
昔の僕はそんな母を見ながら、
「不摂生してるから、身体壊すんやろ」
「主治医の言う通りに気をつけて生活しろよ」
って正論を言っていました。
もっとこうした方がいい。
それはやめた方がいい。
自分で悪くしてるんやから、自分で変えてよ。
そうやって、正論を突き立ててました。
母だって、
息子に偉そうに言われたくなかったんですよ。
正論なんてわざわざ、聞きたくなかったんですよ。
自分でわかっていたから…。
今振り返ると、
当時の僕が母に言いたかったことは、
「ちゃんとして」という言葉じゃなかったんです。
もっと自分を、大切にしてほしい。
これだけだったんです。
病気になる前の母は、
もっとずっと穏やかでした。
僕にも、
「今を思いきり楽しんで」
「好きなことをしなよ」
って言ってくれる優しい人でした。
そんな母のことが好きだったんです。
だからこそ、
自分を追い込んで。
身体を壊して。
また後悔して。
自暴自棄になって、さらに自分を苦しめる。
こんな母の姿を見るのが、僕だってつらかった。
母が、もっと自分を大切にして、
自分から幸せになってほしかった。
そうなってくれることを、
望んでいたんやと思います。
でも、
正論を言えば言うほど、ケンカになる。
僕の声は、ますます届かなくなる。
その頃から僕は、
正論だけでは、人は変われない。
ってことを思い知りました。
なんで自分を大切にできないの?
そこからさらに、
僕の中で新しい疑問が生まれました。
自分に良くないって、わかっている。
身体に悪いって、わかっている。
つらくなるって、わかっている。
それでも、なぜ同じことを繰り返してしまうんやろう?
なんで、自分のことを大切にできないんやろう?
こう考え続けていました。
これは、昔の僕自身にも当てはまるんです。
僕は昔、
96kgまで太っていました。

食べすぎていたとか。
偏った食習慣や生活習慣とか。
表面的に見れば、
太ってた理由もいろいろあったんですけど。
今、振り返ると、
太っていたこと自体に、
なにかしらの意味があったんかも。
意味というのか、
言い訳というのか…。
というのも、
自分に自信がなかった。
人間関係にも満足していなかった。
こんな自分のことが、嫌いやったんですよね。
「太ってるから…」
「こんな体型やから…」
うまくいかない自分のことを、
肥満を理由に正当化していたのかも。
自分の本心と
向き合わないようにしていたのかも。
そんな理由で、
痩せない自分、太っている自分を、
自分で選んでいたのかも。
まあこんなことは、
今やから、こう言えるけど、
当時はもちろん、こんなこと、
みじんも考えていません。
でも、
人は、
頭で考えていることだけで
生きているわけじゃない。
って感じています。
太っているとわかっていても、
痩せるための行動が続かない。
身体に悪いとわかっていても、
いけないものを食べすぎちゃう。
本人も気づかないところで、
つらいとわかっているのに、
また同じ選択をしてしまう。
同じ人間関係。
同じ環境。
同じように、自分を後回しにする暮らし。
患者さんとの関わりの中でも、
似たことを感じていました。
例えば、
家族の世話で疲れ切っていた方が、
病気で入院したことがありました。
入院して初めて、
世話をし続ける役割から解放された。
身体は治ってほしい。
でも治って家へ帰れば、また同じ生活に戻る。
その方は何度も、
「退院したくない」
と話していました。
病気になりたくて病気になってる、
という話じゃなくて。
症状だけを見ても、
その人が何に苦しんでいるかまでは、わからない。
その人自身も気づいていない
思いや経験が、
日々の選択や暮らし方に
大きく影響している。
そう考えるようになりました。
そこで僕は、
「潜在意識」や「無意識」
について学ぶようになりました。
身体の声の、もっと奥を見るように。
僕は、
身体の不調や症状のことを、
「身体の声」
と呼んでいます。
痛い。眠れない。緊張している。
疲れている。怖い。不安になる。
僕は、
身体から起こっているそれらを、
身体が何かを伝えようとしている
大事なサインだと思っています。
だから、「身体の声」なんです。
かといって、
その「声」だけを見るんじゃなくて。
その奥に、
あなたがどんな暮らしをしているのか。
何を我慢しているのか。
どんな経験をしてきたのか。
自分をどんなふうに見ているのか。
どうして今の選択を続けているのか。
そこまで深く、相手を見るようになっていきました。
潜在意識について学びながら、
相談に来てくれる人にも、
表面的な悩みだけではなく、
その奥にあるものを見るようになりました。
僕が知って伝えたかったのは、
「何をしたらいいのか」
だけじゃなくて、
なんで、その人はその選択を
繰り返しているのか。
だったんです。
そこに気づけたら、
無理やり正さなくていい。
正論で抑えつけなくていい。
何よりまずは、
「自分は今、こういう生き方をしているんやな」
って気づく。
そして、認める。
そこから、どうしたいのかを自分で選ぶ。
そうやって関わっていく方が、
僕にはしっくり来ていました。
そうやって関わり方が変わっていく頃には、
僕はもう病院を離れていました。
本当に、これしか方法はないんかな。
潜在意識とか無意識の領域を見るようになってから、
次の葛藤が生まれました。
その意識に触れようとすると、
僕が知っていた方法では、
相手の深い話を聞くことになる。
過去を掘り下げることになる。
お父さんとは、どんな関係だったのか。
お母さんとは、何があったのか。
子どもの頃、何を感じていたのか。
どんな経験があったのか。
本人も忘れていたようなことを、
もう一度ほじくり返すことになる。
これって、
すごく痛いんですよ。
自分でも気づいていなかった、
何なら忘れようとしていた過去。
僕が知っていた方法では、
そこを掘り返すことが必要でした。
その中で、さらに、
「これって、自分で選んでたんや」
「自分でこんな苦しみを続けてたんや」
って気づいた時、
今度はその事実が、自分を苦しめることもありました。
僕自身も、この苦しみに、
痛みに、打ちのめされました。
今からこの意識を
変えていかなあかんのか。
マジか、勘弁してよ。
って思ってました。
僕自身が辛かったことやから、
相談者さんに、同じように過去を掘ってもらって。
つらかったことを思い出してもらって。
涙を流しながら話してもらう。
その姿を見ていると、
僕も涙が止まりませんでした。
こんなつらいことをしないと、
本当に自分に気づけないん?
昔の痛みを思い出さないと、
生き方を見直せないん?
この疑問と違和感を抱えながら、
たくさんの方の話を聞き、
カウンセリングをさせてもらっていました。
ずっとずっと、葛藤していたんです。
身体の声を辿っていくと、
その奥に、本人も気づいていないものがある。
そこまでは、少しずつわかってきました。
でも。
そこに触れるためには、
本当に、つらかった過去を
ひとつずつ掘り起こしていくしかないんやろうか。
本当に?
もっと違う方法はないんやろうか。
ずっと、
そんなことを探していました。
つづきのお話
そんな僕が、ボディフィールドというものに出会いました。

